2015年3月25日水曜日

ヨーロッパ一ヶ月バックパッカー㊻ ストラホフ修道院の図書館

ひどいブログですね本当に

こんなんだから

賢二さんにあんな冷ややかな目で

見られるのも

当然です。





第二の中庭の謎のカゴは、井戸。

さて

ガマってなんだろうと

調べてみますと

ガマ」とは沖縄方言で洞窟だとわかりました。

沖縄県の沖縄本島南部に多く見られる自然洞窟のことを

ガマ

と呼ぶとわかりました。

沖縄本島には約2000の石灰岩で形成された鍾乳洞があって

太平洋戦争の末期に起こった沖縄戦では、

住民や日本兵の避難場所として、また野戦病院として利用された場所だとわかりました。

沖縄の島々は穴と亀裂の多い、サンゴ礁が隆起して出来た島だそうです。

その穴や亀裂が地上に出て洞窟となったのがガマ。

ガマは夏は涼しく、冬は暖かく住民達の宴会場や出産の場として使われるなどガマは住人達の憩いの場として使われていたそうです。

大平洋戦争の当時、アメリカの兵隊はとても恐ろしく残酷だと教えられていました。捕まれば男は八つ裂きにされる。女は犯されてから殺される。今では信じられないことですが当時の人々は本気でそう信じていたのです。

戦争末期、1945年の3月26日。その恐ろしい鬼畜米英がついに沖縄に押し寄せて来ました。最初の上陸地点は那覇の対岸に位置するケラマ諸島。今ではダイビングなどのマリンスポーツが盛んな美しい島です。
まず艦船と飛行機から激しい砲爆撃を加えて島を焼きつくします。それから上陸を開始。小さな島なので逃げるところはありません。追い詰められた住民達は「集団自決」を決行します。軍から自決用に手榴弾が支給されています。家族や親戚でそれを囲んで爆発させるのです。
それがない人、不発だった人はいろんな方法で自殺します。紐で首を閉める、首を吊る。カミソリやカマ、ナタで頸動脈を斬る。ネズミ取りの毒薬を飲む。棒や石で殴るとか。自分ではなかなか死にきれないですから、お父さんが、奥さんや、子供を殺す。兄が妹を殺す。

愛する人が苦しむところは誰もみたくないでしょう。だから一瞬で死ねるように、できるだけ思いっきり、殴るなり切るなりしないといけないわけです。そして自分は最後に自殺する。
そうやって島民がそれぞれ自殺していったのです。 無惨です。死ななくてもよかった人が大勢いたのです。そして死にきれなかった人、奇跡的に助かった人は多くを語りません。
上陸地点の住民は嵐のような「艦砲射撃」を避けて近くのガマ(洞窟や鍾乳洞、ほら穴)に避難していました。沖縄にはこのようなガマがたくさんあります。
「チビチリガマ」という洞窟に避難した140人の住民はアメリカ兵に包囲され投降を呼び掛けられます。壕内は自決派と投降派がいるわけですが、中国戦線を見た従軍経験者、またサイパンの玉砕を知っている人などにより自決を決行してしまいます。布団に火をつけて煙りと炎で85人が犠牲となりました。
しかしそこから800mしか離れていないもうひとつの「シムクガマ」。1000人の住民が避難していましたが全員が助かっています。ここにはハワイ帰りで英語の解る人がいたのです。

この人はアメリカ人をよく知っていたので鬼畜米英は軍の流したデマだと知っていました。住民を虐殺するようなことはアメリカ人はしないと皆を説得し自決を思いとどまらせたのです。
ストラホフ修道院の門。

避難していたガマがついに敵に発見されてまう。入り口から「カマワン(Come On)デテコイ」と呼び掛けられる。アメリカ兵は残虐だと教えられている。捕まったら、ひどい殺され方をされる。 

中国戦線を見た人の話しによると神国である日本軍も中国の住民には恐ろしい事をする。それなら鬼畜米英に捕まったらただではすむわけがない。自分の妻や親や、子供達をそんな目にあわせるわけにはいかない。自殺するほうがどれほどましだろうか。
それに生き残って捕虜になることは非国民であって恥ずかしいことでした。 皇民化教育は沖縄でも熱心に行なわれていたし軍国少年もたくさんいたのです。天皇陛下の為に潔く死ななければならない。また投降しようとすれば日本兵にスパイ容疑で即、処刑されるのです。
住民は飛行場や壕の建設に協力している。おかげで壕の場所、部隊の規模、大砲の配置など知っていたりするから、捕まって秘密がもれる事は十分ありうる。よって捕虜になる事イコールスパイ行為ということになるのです。
投降のビラを見ていただけでも、方言を使っただけでも、スパイ容疑です。日本軍のいるところでは投降は許されません。投降すれば後ろから撃たれます。軍民ともに玉砕するしかないのです。
暗い高温多湿なガマの中で爆撃に脅え水も食料もままならない。そして日本兵の恫喝や略奪。そんな状況が何日も続き、ついに鬼のような米兵に発見される。これでは集団で自殺するしかないのです。というよりやっとこれで楽になれるというぐらいの気持ちではないでしょうか。
住民は捕虜になって初めてアメリカ兵と接するわけです。水や食料、チョコレートをくれる。ケガを治療してくれる。老婆をおぶってくれる。沖縄方言もしゃべっていい。鬼と教えられていたのにえらい違いです。
それに対して自分達を守ってくれるはずだった日本軍は高圧的な態度での横暴ぶりが目につきます。日本刀を抜いてヒステリックに脅迫し食料を奪う。物資を無理矢理提供させる。アメリカーよりも友軍(日本軍)のほうが恐かったとも言いわれています。
悪質なものになると、ガマの中で泣く赤ん坊は米軍に見つかるので射殺する。投降しようとするものは後ろから狙撃する。捕虜になった住民を収容所から拉致してきて殺す(食料を奪うため)。



また方言しかしゃべれない老婆をスパイといって日本刀で切り殺す(みせしめ)。中国などで日本軍がやってきたようなことが沖縄の住民に対しても行われたのです。
そのように残虐行為を行う者はほんとうに少数派だとは思いますが、体験談などを読むとあまりに悲惨で怒りがこみ上げて来ます。沖縄人の命を奪ったのはなんといっても米軍の砲爆撃や機銃掃射ですし米兵が沖縄人を虐殺したり強姦した例もたくさんあるでしょうが。仲間である同じ日本人から殺されることはやはり悲惨としかいいようがないです。
「戦争というものはそうやって人を狂わせてしまうものなのだ」という言葉で片付けることなど絶対に無理です。
鉄格子ごしに撮ります。

広場を挟んで正面にはレストランがあり

私は今回入りませんでしたが、

自家製ビールが美味しいのだそうです。




こちらが図書館入り口です。

■あなたが「一生行くことはないだろう」と思う都道府県は?で
第1位 佐賀県 49人(9.8%)
第2位 青森県 38人(7.6%)
第3位 沖縄県 31人(6.2%)


沖縄三位に選ばれてました、

理由は

・暑そうだし海が嫌いだから(男性/28歳/医療・福祉)


私も暑いの嫌いなんですが、

冬の沖縄ってなんか良いらしいので

http://guide.travel.co.jp/article/2858/

行ってみたくなりました。





入口から階段を登って2階へ上がると
まずは

お土産屋さんコーナーです。


そしてその先には

「哲学の間」です。

とてもインパク知 高い空間なので、

映画などの撮影場所としても人気だそうで

『007カジノロワイヤル』や『オーメン』など、たくさんの映画に登場しているそうです。


「松代大本営」とはなんだろう

松代大本営とは、アジア・太平洋戦争末期、現・長野市松代町の三つの山(象山・舞鶴山・皆神山)を中心に、善光寺平一帯に分散して作られた地下壕などの地下軍事施設群のことである。敗色濃厚だった当時、軍部は本土決戦を行うことにより連合国側に「最後の打撃」を与え、「国体護持(天皇を頂点とする国家体制の維持)」などのよりよい和平条件を得ようと考えていた。この決戦の指揮中枢を守るためのシェルターとして松代大本営の地下壕が計画された。


18世紀に整備されたという

「哲学の間」には、高い天井にぎっしりと中世からの蔵書が










「神学の間」

圧巻ですね。



がたがたですが、

動画撮ってました。



2015年3月18日水曜日

ヨーロッパ一ヶ月バックパッカー㊺ ウォーターフィールドダンスさんからコメントがありました。

ヨーロッパ一ヶ月バックパッカーⅩ 地球滅亡の日








でご紹介しましたが、



けっちょんけっちょんに

私をおふりになられました。


こちらが今回の旅行での私の命綱様です。