2015年1月29日木曜日

ヨーロッパ一ヶ月バックパッカー㊴ Ottakring

プラネタリウムやってないので、

そうそうに切り上げて

次の場所に向かうため

駅に戻ります。

乗り込みました電車は



Ottakring往き


オタキング!!









岡田 斗司夫さん最近話題ですよね。


    オーストリア ウィーン オッタクリング







正直ショックでした。


下ネタを平気で言える人ではありましたので

私の今までであってきた人たちからの統計論からですが、

恋愛事情お上手なんだろうなとは

薄々思っていましたが、

まさか

彼女9人いて

多い時で

80人とは

想像だにしなかったです。
私は金ちゃんサイドの人間なので

下ネタは一切NGなところが

だから恋愛ベタなのかなと

今回の一連騒動で

なんかそう感じました。




それは

さておき

次に向かう国は

私の生まれて初めて

最初の海外旅行である

大変思い入れのある


ビールがおいしい国です。

2015年1月21日水曜日

ヨーロッパ一ヶ月バックパッカー㊳ プラーター遊園地

オーストリアのプラネタリウムはどこだろうと

調べてみましたら、

ウィーンの街の北東部にあるプラーター遊園地内に

プラネタリウムがあると

判明したので

行ってみました。



praterstern駅で下ります。

  1. ウィーン・プラーターシュターン
  2. 住所: オーストリア

駅構内の売店で

シュワシュワ水を買ったのですが、

私の前のならんでいた

おじさんが

小さな少額セントのコインで買い物しようとして

いやがられてました。

駅を出ると観覧車が見えました。

その前に気になったのが

駅構内にあるこのお店

愛GINZA




「愛 GINZA」とは面白い名前ですよね。

完全な和食レストランではなく、いわゆるアジア料理店ですが、

Susiなども取り扱っているみたいです。



わ、さておき

観覧車目指して歩きました。


右上の広告見ますと

観覧車内で

お食事ができるみたいです。

なんでも

この観覧はある筋では

有名らしいのですが、

キャロル・リード監督 (1906-1976) の代表作である

第二次大戦後まだ米英仏ソの四カ国に占領されていた時代のウィーンを舞台としたイギリス映画

「第三の男」

に登場したりと

ロケ地だったそうです。


この遊園地の歴史は古いそうで


「貴族の狩猟場として利用されていたプラーターの森を、1766年、 マリア・テレジアの長男ヨーゼフ2世が、一般市民のために開放した。

それ以降、プラーターは市民の憩いの場所として親しまれている(入園無料)。 ここで、1873年(明治6年)に万国博が開催され、鎖国を解き、文明開化の花が咲き始めた ばかりの日本も参加している。」

そうです。


でも

私の目的は

プラネタリウムですので

向かいますと。

休刊日でした。



自由気ままな一人旅ですので

近くにホテルとって

一日つぶしてみようかなとは

思ったのですが、

ヨーロッパにいられるのは

一ヶ月

なるべく多くの場所に行きたいので

今回は断念しました。






(淀川長治氏 “1909-1998”)


  《 淀川先生と映画の部屋 》

 『第三の男』“THE THIRD MAN”
 これは見事なキャロル・リードの名作ですね。

 で、これは私は観て、あまりに立派なので驚きましたと同時に、少し憎たらしくなった。どうしてかって言うと、ホントに映画の教科書ですね。
 映画の見事な見事な、も、脚本もキャメラも、もう監督自身、見事な見事なキャロル・リードの感覚が出て、これはもうワンカットも無駄でない、もう見事な見事な映画自身の本当の教科書、そう思いました。
 だから、これに私は惚れたんだけれども、ちょっと嫌いでした。ゆとりがないぐらい綺麗だった。見事だったからですね。



2015年1月14日水曜日

ヨーロッパ一ヶ月バックパッカー㊲ シェーンブルン宮殿

世界遺産でもあるシェーンブルン宮殿へ向かいました。
Schloss Schönbrunn


マリー・アントワネットの母、女帝マリア・テレジアが大改装した宮殿だそうです。


ウィーン地下鉄U-BahnのU4号線、シェーンブルン駅Schönbrunnで下車
しました。






ヨーロッパじゅうにいますこのテレジア・イエローの人

ハプスブルク家の夏の離宮として知られるシェーンブルン宮殿着きました。





このとき

自分まったく英語もドイツ語できないのに

チケット買えるんですかと

恐る恐るならびまして

今思い返してみても

人間ってものは

その場になったら

結構なんとかするように

脳が作られてるんだなと

この旅で学びました。




チケットの種類内容
Imperial Tour前半22室
Grand Tour全40室 (ドイツ語・英語ガイドツアーもあり)
Classic Pass全40室、皇太子庭園、グロリエッテ、迷路庭園
Classic Pass  Plus
全40室、皇太子庭園、グロリエッテ、迷路庭園、
リンゴパイ実演
Family Pass
ImperialTour,シェーンブルン宮殿の子供博物館、
Schloß Hof im Marchfeld
Gold Pass
全40室、皇太子庭園、グロリエッテ、迷路庭園、
リンゴパイ実演,動物園、砂漠館、宮廷馬車博物館
Sisi Ticket
全40室、宮廷家具調度品コレクション、
王宮(皇帝の部屋、シシィ博物館、銀器コレクション)
※Classic Pass,Classic Pass Plus,Gold Pass は4月1日~11月2日まで Family Pass は4月7日~11月2日まで
日本語パンフレットありました。

もともとは17世紀末に建てられた狩猟用の別荘で、シェーンブルンの名は17世紀初頭の神聖ローマ皇帝マティアスがこの地で美しい(シェーン)泉(ブルン)を見つけたことにちなんでだそうです。

その後歴代皇帝が増築と改築を行い、18世紀中頃のマリア・テレジア女帝の大改築によりほぼ現在の姿となったそうです。

建物にはもともと金を塗る予定でしたが、マリア・テレジアが財政状況を考慮し、黄金に似せた黄色にしました。 この色はテレジア・イエローと言われているそうです。

シェーンブルン宮殿はハプスブルク家の夏の離宮として使われたそうです。

1762年には、当時6歳だったモーツァルトがこの宮殿に招待され、マリア・テレジアやマリー・アントワネットらの前で演奏したそうです。

宮殿横にはバラのトンネル

この庭園は広大なもので、東西約1.2km、南北約1kmもあるそうです。

庭園遠く奥にある

小高い丘に、

グロリエッテと呼ばれる建物があります。

これは対プロイセン戦の勝利と 

戦没者の慰霊の為に建てられたギリシャ建築の記念碑なんだそうです。


宮殿内は写真撮影禁止でした。

なのでネットで拾った画像を貼り付けます。

シェーンブルン宮殿の大ギャラリー
シェーンブルン宮殿の大ギャラリー


シェーンブルン宮殿の「鏡の間」
鏡の間
シェーンブルン宮殿の「漆の間」
漆の間

鏡の間は6歳のモーツァルトが御前演奏をしたそうです。
シェーンブルン宮殿の「青い中国のサロン」
青い中国のサロン
シェーンブルン宮殿の「ベルグルの間(庭園の間)」
ベルグルの間(庭園の間)


モーツァルトが宮殿内で転んだ時に、マリア・テレジアの7歳の娘マリー・アントワネットが手助けをしたところ、6歳のモーツァルトがプロポーズした逸話がこの城にはあるそうです。


宮殿の建物の中で観光客が見ることが出来る部分は、ほんの一部なのですが、

 宮殿の大半が公務員の庭付き賃貸アパートだからだそうです。

音声ガイドに日本語がありました。





ここで、タップを落っことしたことに気がつきました。





バラのさだめに生まれた華やかに激しく生きろと生まれた

バラはバラは 気高く咲いてバラはバラは 美しく散る


「シェーンブルン宮殿の奥ふかく 大オーストリア皇女として…… 
マリー・アントワネットはこの上もなく美しく 気高く優美に そしておおらかに そだってゆく……」
―コミックス一巻

一瞬パニックにはなったのですが、

たぶん自分はこの旅行中絶対この人形無くすだろうとは分かっていたので

予備のタップを複数個持ってきてました。

でも

それは

駅のロッカーにしまってあるので

自分がこの場所に来た証明を

私の紀元年初号機アバターに変えてます。
http://saitouyuki.blogspot.jp/2011/02/blog-post_14.html


http://saitouyuki.blogspot.jp/2012/03/blog-post_27.html



世界遺産(文化遺産)に1994年に城と広大庭園がユネスコ登録されたそうです。


ネプチューンの噴水です

説明を追加


階段を登りネプチューン像の裏側に回ってみました。






シェーンブルン宮殿 645年もの間、

ヨーロッパを統治したハプスブルク家繁栄の象徴だけに壮大ですね。


丘の上にグロリエッテに向かいます。


グロリエッテは、1775年にマリア・テレジアがプロイセン戦の勝利を祝い、また戦没者の慰霊のため建てたものだそうです。



グロリエッテ内部はカフェになってました。


グロリエッテ裏には水道がありましたよ。