2012年12月30日日曜日

荒川区立プラネタリウム館

プラネタリウム好きにとって聖地と呼ばれている


荒川区立プラネタリウム館に前々から凄い行きたかったのですが、

投影が月2回の毎月第二土曜日、第四土曜日だけで

仕事でどうしても無理だったのですが、


奇跡的にお休みがもてたので


12月の22日の土曜に行ってきました。

なんかものすごい豪雨でした。

最寄駅がJR三河島駅とのことで降りたんですけど、

ホームだれもいません。


駅を出ると駅前に立派な地図があり、

ちゃんとプラネタリウム館とかかれています。

荒川図書館のとなりにあるとのこと。

ざんざん降りのなか、


ひたすら、


聖地めざして、

歩きます。

しかし、

地図どおりに

狭い民家の中をうねうねと

進みながら本当に

この近辺にプラネタリウムあるのか?と

39年間迷子の人生でありんすので

よけいに不安に陥っていると、





















プラネタリウムのドーム発見しました。

でも入り口はここじゃないので

まわりこんでみました。

なにやら屋上に天体観測のドームのある建物も発見。


なんとそこが荒川図書館でした。

民家の中に隠れるようにある秘密のライブラリー。


図書館マニア必見です。

その秘境の図書館、

さらにおくに

星空の天球儀があるのです。



進んで左にまわった先にある

通信制の高校の建物わきに

エルサレムに続く道があります。

で、なぜかその通路に

岩石名のかかれたプレートがありまして、

そういえば

なんか石が雨ざらしの状態で

並んでいるのですが、

べつに私石に興味ないので無視しまして




いよいよ




この先に




憧れのエルドラドが。






荒川区立プラネタリウム館着きました。


感無量です。


なかのZEROプラネタリウムのビラが張ってました。

クリスマス特別投映ですか、、。



こういうプラネタリウム好きが一人で見に行って



激しく後悔してしまう



悲しくなる星空はほんと滅亡してほしいです。

そういうクリスマスだとかいう

恋人たちの夜のための前戯フェスタ

かかわっても心がけがれるだけなので

そんなものより聖なる美しいものに出会います。






国産で稼動している

最古のプラネタリウムとの

ご対面(パンチDEデート)です。




日本で最初に設置されたプラネタリウムは

旧大阪市立電気科学館の投影機(1937~89年)の

カール・ツァイス・イエナ社製「ツァイスII型」で

アジアで最初のプラネタリウムでもあり、

52年間稼動してました。



日本で現役稼働で一番古いプラネタリウムは、

1960年6月から稼動の

兵庫県明石市立天文科学館にある

同じカール・ツァ イス・イエナ社(旧東ドイツ)製の投影機で

旧大阪市立電気科学館の投影機(1937~89年)を抜いて“長寿日本一”になりました。




昭和39年(1964年)に開館したこちらのプラネタリウム館は、

「子供たちに宇宙をもっと身近に学んでもらうように」と、

設立当時から入場無料を守り続けているそうです。




30分ほどで作ったというスカイツリー。

プロジェクターも完備してます。





葉加瀬太郎の嫁高田万由子が座った同じ場所を確保しました。

コンソールをのぞかせていただきました。


そして前任から引き継いで、

もと教員でプラネタリウム解説員の杉本さんとお話するチャンスがあったので



「私最初、星に興味があるとかじゃなかったのですが、科学館めぐりしてたら必ずプラネタリウムあるじゃないですか、




そしたら都内の主要なプラネタリウム全部行きまして、


あとチェコとポーランドのプラネタリウムも行きました。」


と自慢したら大変杉本さん食いついてくださいました。





そしたら


杉本さんに葉加瀬太郎の嫁高田万由子みたいに

コンソールの細かい説明をしてもらえちゃいました。


私が「全部アナログで操作むずかしいのですよね。」と質問すると

「そんなことないのよ、とても単純よ。」とおっしゃりました。


細かいメモリとか打ってないんですよね。

私が杉本さんに

「どうして月二回だけの投影なんですか?」

とお聞きすると

即答でそれ以上はできないと


毎回内容は必ず違うものにしたいから

そしてプラネタリウムは最古でも

プログラムは現代の新しい星ぼし

最新の宇宙の内容を描きたいから


妥協できないから週二回しかとても無理なのだそうです。



あと、


なんで図書館の屋上に天体観測があるのか聞いたら

最初は科学館だったのが、あとで図書館に変わって


このプラネタリウムだけがそのまま残って現在にいたるのだそうです。



図書館の屋上にあった望遠鏡は3,11の震災で倒れて壊れ


修復するお金がないからそのままなのだとのこと。





この日は

こんな悪天候な日よりなのに

15人のお客さんがいらしゃいました。

普段天気の良い日なら30人ぐらいあつまるのだそうです。

愛されてますよね。


それで


今回のテーマは


ブラックホールのなぞだったのですが、


とてもよく考えられた、


さすが伝説のプラネタリウムと言われるだけのゆえんに


納得させられまいした。










投影終わって外にでるとすっかり晴れてました。



今年も色々なプラネタリウム見ましたが





年終わり最後に



48年前の“日本”の夜空を体感できたことが本当によかったです。







ここに来て


プラネタリウムを見てきた人たちの





思いえがいた夢の数はメガスターなんてくらべられないほどの







それはもう瞬くたくさんの星空が







なくならないでいつまでも輝いていてほしいです。













そしてこれが今年最後のこのブログの更新になります。





それではみなさん、よいお年を ...


2018年2月追記



なんと五藤光学からメールがきました。




了解しました、どうぞお使いになってください。

















2012年12月23日日曜日

大地の芸術祭2012⑪ かたくりの宿

次に向かったのは新潟県と長野県の県境ちかくにある、

秋山郷めざしました。

で、道中見えた

あの巨大な白い長い線はなんなんでしょう?

分かりますか?たむさん。

とちゅうダムらしき建造物発見、

発電所でしょうか?

日本の白いのはこれに関係したものでしょうか。


山道走ってると

斜面にまっすぐコンクリートの網タイツ的なのがあったのですが、

なんの意味があるのでしょうか?

分かりますか、たむさん?





それで、




はい



秋山郷結東温泉 かたくりの宿無事ついたのですが、


驚きました。

なんてところに作品あるんだと、




最初、越後湯沢でレンタカーを借りるさいに、お店の人から
「道幅が狭いですから注意してくださいね。」と言われたのですが、

ここはもうそれは私の想像をはるかに超える細さでした。





とくにこの頂上までの道のりは、運転未熟者な私には車で綱渡りしているぐらいの
末恐ろしい細さで

向かいから車きたらあの道でバックなんて私にはとうてい不可能なので
アーバンチャンピオン的(ファミコン)に押し合うか、


ミサイル撃って爆破して進むぐらいしか方法がないので、


もう車来るなくるなよ!と祈りながら斜面うねうね進みました。



そう


大地の芸術祭の里最南端の作品


観るためにがんばりました。





作品番号M014 Melting Wall

制作年2003

本間 純


水の壁です、

これが見たかった。


水源が山の中腹にあり、高低差による水圧を利用して汲み上げているそうです。

この場所の特筆をいかした、

目に涼しい清涼感ある作品です。

三レーンしかない小さなプール

でも

できた時は子供たち

それは喜んだんだろうなと。


それで、私は宿泊客ではないのですが、

かたくりの宿入り口で

物ほしそうな顔をして

じーと佇んでいたら

みかねたのか

大地の芸術祭のサポーターのこへび隊の方が

建物内を案内してくださいました。


廃校となった旧中津峡小学校をリノベーション、

冬季は営業しないそうです。

なんでもここは


雪が降ると

完全に下界と遮断されるそうで、


なんと明治25年に

あまりの極僻地のため

昭和11年に解除されるまでの

43年間もの期間、


義務教育免除地域に指定されてました。



義務教育免除地に指定されるということは、
集落の人々にとって、死にもひとしい宣告であり、現代の飢饉ともいわれました。

 その43年間は、義務教育完全実施を求め続けながら、私設小学校設置で寺子屋式の教育が続けられました。地域の有識者を先生として立て、学校教育関係の費用(設備・消耗品)は集落が負担し、教師の給与や食事や衣服も賄っていました。

しかし、「読み・書き・そろばん」といった実用教育だけで、
人間形成の教育ではありませんでした。

 また、集落の負担は大きく、卒業証書がなかったため、
就職や中学入学に不利な点もあったようです。

集落では村の会議や村の議員を個別訪問して教育の必要性を説明し、署名や嘆願書を提出し、県の視察も仰ぎました。そして、昭和11年、ようやく義務教育免除の地解除を獲得しました。







秋山郷一帯は土の中に石が多く、水田には向かない土地だったため、

この地域の開墾は

明治時代以降に始まったといわれています。


飢餓対策のため、人びとは必死の思いで水田を開いたそうです。




山間地の水田は、山の斜面に沿って段々に広がる「棚田」が有名ですが、

秋山郷の奥の結東地区に広がるのは、

石垣で組まれた珍しい棚田で、




何段にも組まれた城壁のようなその景色は大変美しく、




山から水路を引いて水を確保し、稲作を始めたこの

「結東の石垣田」は、

全国的にも貴重な存在なのだそうです。



冬季のあいだは

地上と結ぶ手段

ヘリコプターしかなくなるとか凄まじいですね、



でも子供たち笑顔だ。

結ぶに東と書いて結東(けっとう)、結東集落。



メルティング・ウオール見たくてここまできましたが、


それにより、

自分の今まで知らなかった過去の現実

歴史分かってよかったです。








宿泊客の食堂。



体育館。

雪対策でとても頑丈に作られた屋根。

宿泊した子供が退屈しないよう遊技がおいてました。

昭和40年(1965年)に初めて学校にピアノが置かれたそうです。


なんか有名なつり橋があるそうなので、

じゃまくら石公園の前の駐車場に車をとめて

歩いて行ってみました。


見倉橋(みくらはし)

この家の先、

下ります。



この家のわきには

ため池があり水ドバドバ流れてました。


林の中を4~5分

下っていると、

吊り橋がありました。




映画「ゆれる」のロケ地となり、

この橋が登場人物のゆれる心理状態を象徴的に表したそうです。

対岸の見倉集落から

この橋を渡って一時間かけて

学校に子供たちが登校したそうです。



で、私橋の動画撮ってました。

今、思えば普通に撮っとけばよかった。





大地の芸術祭というイベント

メルティング・ウォールという作品がここにあることで


過去に義務教育免除になるくらいの


閉ざされた秘境に


現在、たくさんの人たちが訪れるようになるなんて


とても興味深い、


そして実におもしろいです。