2012年6月13日水曜日

ポーランド旅行 25 やさしく愛して

ショパンミュージアム(生家)を見学し終わり、ワルシャワに戻るべくバスに向かいました。

博物館(生家)向かい側にポーランドの横断信号発見!

UWAGA!(注意)という意味らしいです。








そしてワルシャワに戻る途中、
ジェラゾヴァ・ヴォラから北に10kmほどにある

ブロフフ村の聖ロフ教会に立ち寄りました。

1560年に砦として建てられたルネッサンス様式の教会です。




この教会でショパンの洗礼式が1810年4月23日に行われたそうです。

そして両親は1806年、姉イザベラハは1832年にここで結婚式を挙げました。

夏のシーズン中、日曜日にはここでショパン・コンサートが催されとの事。

ショパンの洗礼式を記念するプレートと、洗礼証明書の複製があるそうです。




ショパンは、8歳の頃から当時不治の病であった結核に蝕まれており
手も小さく、身長170cmくらいで、亡くなる時の体重は50キロも満たないくらいの小柄な人で

性格も少し内向的な

今でいう草食系男子の走りともとれる人物だったそうです。



そんな彼ショパンはその生涯で3つの恋を経験したと言われています。










一人目は、

ショパン19歳の時、同じワルシャワ音楽院に通うコンスタンツィア・グラドコフスカという女性で、
ショパンの初戀の人だといわれています。

天使の歌声を持つといわれたソプラノ歌手

学園中に旋風を巻き起こすほどの羨望の眼差しのプリマ・ドンナで

彼女を巡っての決闘騒ぎまでおこる


河合奈保子的存在でしたので


繊細で奥手なショパンは
彼女にその思いを打ち明けることができず




片思いで終わりました。






二人目は、

彼が幼い頃から家族ぐるみの付き合いだった
ポーランド貴族のヴォジンスキ一家のマリア・ヴォジンスカ嬢で

彼はかつてピアノを教えたこともあるその家の女の子が
魅力的な少女に成長しているのを見て婚約してしまうのです。

その時ショパン26歳、マリア17歳の年の差9歳(ドロリコン)カップルの誕生だったのですが
彼女の両親があまりにショパンが病弱なこと、貴族出身ではないこともあって
あまり乗り気ではなかったこともあり結婚するにあたり条件をつけました。



「夜11時には寝る事、防寒のためマリアが送ったウールの靴下を履く事、ガムシロップを飲む事。」



パリに戻ったショパンはドレスデンにいるテレサ夫人には黙ってればバレやしないとでも思ったのか

相変わらず観劇に音楽会に夜会にと出歩き、夜更かし不摂生をかさね2、3ヶ月ごとに倒れるありさまです。

しかしちゃんとテレサ夫人はパリに住む女友達にショパンの様子を探らせていたので、
その行状はすっかりお見通しで、なんどか忠告の手紙をショパンに送ったのですが

一向に生活態度をあらためないショパンに呆れを果て

いつしか連絡が途絶えていき、最後にはマリアから別れの手紙が届き
結局婚約は破談となりました。







そして三人目は



フランスの女流作家ジョルジュ・サンドで男装の麗人ショパンより6歳上です。



男性関係が派手でスキャンダルが絶えなかった今で言う肉食系女子であるサンドは
病弱で天才的な才能を持っていたショパンに興味を持ちました。

そして最初は「本当にあれが女か?」と不信感を抱いていたショパンでしたが、

マリアと別れて心を痛めたショパンは次第に強くて逞しいサンドに引かれていくのでした。

お互いの、自分に無い部分を求め合ったのだと思います。



そして二人の関係は9年間続いたのですが、



最終的にサンドはショパンの猜疑心と嫉妬深さにほとほとあきれ果てていて、半ば彼女は彼を強引に突き放す形での破局となりました。

ショパン36歳の晩秋のことでした。

その別れから三年後にショパンは亡くなります。

ショパンは死ぬまでサンドの髪の束を自分の日記にはさんでいました。


思ったのは天才、才能のある人は凡人よりもより苦悩を感じやすく、繊細な分、ストレスを感じると押さえ切れなくて
癇癪をおかしたりする傾向に及ぶんじゃなかろうかと言う事で、


そういう男性とお付き合いする女性、

支える人にしか分からない心痛、

深い悩みがあったりするのかなあと


心中察しました。




もどりますねー



それで


ヨランダさんにお願いして、教会をバックにあひるといっしょに写さしていただきました。

ヨランダさんにはショパン博物館(生家)の庭園を歩いている時にポーランドのランタン祭りについて質問させてもらったのですが、まったくそんなイベントの存在をご存知ではなくて、私はこんなに綺麗でギネスにも挑戦しかけてる瞠目すべき祭典をポーランドの人が知らないという現実が最初信じられませんでした。



私が余りにしつこく聞きただしていたので

見かねたのか後藤さんがおっしゃいました。

「日本でも地方でギネスに挑戦とかで大綱引き大会や巨大海苔巻きに挑戦など村おこし的な催し物がおこなわれても全国区では知れ渡ってないでしょ!」


至極納得しました。




後藤さんがここでも動物と戯れています。


教会の中に入れなかったのは残念です。

そして再びバスでワルシャワのホテルに戻り、

夜からは自由行動なのですが、




この旅行前にその存在を知って

凄い行ってみたくて仕方なかった場所

向かった事を次の旅行記にします。




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