2012年5月4日金曜日

ポーランド旅行 21 王の道

王の道を北に向かって歩いていると、ケミカル・エレメントのオブジェがありました。

コペルニクス、キューリ婦人など名高いサイエンティスト発祥の地らしいです。

王の道は、ワジェンキ宮殿から中心市街地に入り新世紀通り-クラクフ郊外通りを北上して旧王宮に至る、
ワルシャワの王道の観光ルートです。

かつて王様が行き来したので、この名がついています。


ナミエストニコフスキ宮殿(Namiiestnikowski Palace)

1685年から1818年までラジヴィウ家の所有であったところからラジヴィウ宮殿とも呼ばれています。

1994年から大統領官邸大統領府 (Presidential Palace)となったそうです。

宮殿正面に立っているのは、ワルシャワ公国将軍ユーゼフ・ポニャトフスキ(1763-1813年)の像です。
8歳のショパンがここで初めて公開演奏会を開きました。

1765年に館の一部を劇場として開放し、ポーランドではじめてのオペラが上演されたそうです♪ 

あひるを置いて写真を撮ったら衛兵の人がこちらに向かってちょっと反応しました。


カルメル教会, Carmelite Church

ワルシャワにおけるローマカトリック教会


アダム・ミツキエヴィッチ像Adam Mickiewicz (1798-1855)

大統領官邸前に建っているアダム・ミツキエビチ像

ポーランド・ロマン主義を代表する文人でショパンとも交流があったそうです。

当時ロシアに実質支配されていたポーランドを独立させるために活動した政治活動家でもあるそうです。

クラクフ郊外通り





聖アンナ教会(St. Anna's Church)

ローマ法王の顔写真が飾られています。


旧王宮前の広場

コンテンポラリーアートだとは思うですが、よく分かりません。

ゆえに間違いなく現代美術です。


王宮広場(plac Zamkowy)

旧王宮(Royal Palace / Zamek Królewski)

1944年にナチスドイツ軍に完全に破壊されてしまいました。その後、ポーランド民族の象徴ともなっていた
王宮は共産政権下なかなか再建を許されず、修復が決まったのはようやく1971年になってからのことだそうです。

しかしその後、多くの人々の尽力により、王宮は外装から内装まで全て昔のままに再現されたそうです。

王宮の復元が完成したのは、戦後43年経過した1988年、私中三の時の出来事ですので


本当につい最近、


昨日起こったばかりの仰天ニュースです。




ジグムント3世の碑(Zygmunt III)

16世紀のポーランドの王様で1596年にクラクフから遷都させた方だそうです。







ワルシャワ国立競技場が見えます。


ヨランダさんが「美しい形ですよね」と誇らしげに語ったのが印象に残っています。







旧王宮広場から北へ、狭い道に面して、

聖ヤン大聖堂(右)と聖母教会(左)が建っています。


聖ヤン大聖堂14世紀に建てられたワルシャワでもっとも古い教会で、
歴代王の戴冠式もここで行われた由緒ある教会です。


道幅が狭いので全体像が写せません。

プラハの聖ヴィート大聖堂を思い出しました。




市場広場 Rynek Stare Miasto

2つの教会を通る小道を抜けるとそこには旧市街市場広場があります。

ワルシャワの代表的観光ポイントです。



人魚像 Warszawska Syrenka

ワルシャワのシンボルで市の紋章でもあります。

逸話がありまして、なんでもヴィスワ川沿いに住んでいた貧しい漁師の夫婦が、
網にかかった人魚の望みを聞いて逃がしてあげたら、夫婦の近所に人がだんだん増えて魚が売れるようになった
と言うお話があるそうで、

 一説によるとその漁師夫婦の名前がワルスとサワでそこから
ワルシャワの名前が誕生したというアネクドートがあります。


そしてヴィスワ川に架かるシビエントクシュスカ橋(人魚橋)の西端にもっと大きな像が、


それとブリストルホテルの南側の道をビスワ川に向かって行くとループ橋があり、
その欄干にも飾られているそうです。



なにか撮影してました。



ガチャガチャ発見です。



週品は全部スーパーボールだけでした。

なんか寂しい気持ちと同時に懐かしさを覚えました。

でも、一体だれが買うのでしょう?


ワルシャワで突然、ロングバケーションplayingしたくなった時など非常にご利用便利です。




旧市場広場周辺の建物も、第二次世界大戦で徹底的に破壊されましたが、戦前の記録をもとに17世紀から18世紀の姿に忠実に復元され、ワルシャワ歴史地区として世界遺産に登録されています。

そしてこれがナチスドイツに徹底的に破壊された1945年当時の中心市街地の写真です。

真ん中の開けた所がここ旧市街市場広場です。
ワルシャワは第2次世界大戦で85%の建物が破壊されたそうです。


戦後首都が崩壊した時がほぼ同じなのに、東京とはまったく違う復興の仕方です。

戦後に市民たちがレンガの罅まで完璧に再現したと言われるくらい忠実に復興したのだそうです。

新しく都市計画を引き直すのではなく、寸分違わず再現することを選ぶ所私は大好きです。









古めかしい馬車とが行き来していてまさに中世ヨーロッパの街並みです。


バルバカン(円形状の砦)

バルバカンは、ワルシャワ旧市街とフレタ通りをつなぐ場所にあり 
ここで旧市街と新市街が区分されます。


城壁の上は歩くことができて、また堀には水は流れてないので、降りることができ てベンチに座れます。


城壁につながるようにバルバカン(円形状の砦)があります。



昔は牢屋だったり武器庫だったりといった用途で使われていたそうです。








バルバカン(Barbakan)

やはりここもナチスドイツ軍によって第二次世界大戦で破壊されました。

現在の建物は戦後1954年に忠実に復元されたものです。





実際にここまでの道を歩いた感想ですが、私にはまったく戦後に再現されたものだという感じがしませんでした。

心の根を折ってやろうかとするような嫌らしいまでのドイツ軍に破壊された自分たちの町、
あの愛する町並みをまったく同じ用に復元する事で

無くしたもの精神的にも盗られたものを取り返す一番の方法で
自分たちが立ち上がる最善の選択だと考えたのだと


私の勝手な想像ですが思いました。







フレタ通り16番地(ul.Freta16)、キュリー夫人博物館付近まできました。

2 件のコメント:

  1. 毎回楽しみに拝見しております。
    私はビルバオに行きました。

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  2. 返信おくれてすみません。

    恥ずかしながら私、ビルバオを全く知らなくてどんな効果のあるドラクエの呪文かと思いました。

    北スペインにあるのですね、グッケンハイム美術館や世界初の運搬橋、ビスカヤ橋など私も凄い見たくなって現在、行きたい衝動に駆られております。

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