2012年1月17日火曜日

ポーランド旅行 8 シンドラーの工場

次の日はクラクフ市内の観光とヴィエリチカ岩塩坑見学です。


ホテル内にある自販機ではコーラが10ズロチ、約221円です。
ホテルに来る前に立ち寄ったガソリンスタンドが4,29ズローティでしたので倍以上のお値段ですよ、
またずいぶんとスペクタクルなぼり方です。


19時半に夕食でした。
バイキング形式です。


相席したツアー経験豊富なご夫婦に

私がツアー経験初めてで、海外もこれでまだ二回目なんですとお話すると
親切に旅のことについて教えてくださいました。



ツアーには大まかに二種類あって、朝早くからみっちり強行で色々な所を回る若者向けと

時間にも余裕を持って観光するシニア向けがあること。

ツアーの良いところはとにかく楽だけど、途中現地のお土産屋さんとトレードがあるのか

必ずお土産を買う時間が設けられていたりするのよとか。


ツアーで注意する点はなんですか?とお聞きすると

たとえば集合が朝8時だとしてもぎりぎりではなく
10分から15分位前には来るようにする

あと時間には間に合っていても
いつも最後になる人は、印象が悪くなるなど


浅学非才の私にはとても有難いお話をお聞きできました。



朝です。


8時朝食でした。

バイキング形式でした。

私は健康診断でCもらうほど(Dで再検査です。)低血圧なので朝は全く食欲がないのですが、
食べておかないとと思い口に運びました。




9時ロビー集合ですが、昨晩ご指導頂いたとおり
15分ぐらい前におりました。



ホテルにも両替所がありました。レートは空港よりちょっとよいそうです。


そしてこの日ガイドしてくださるモニカさんとドライバーのロベルトさんの粋な計らいで

ツアーの予定では入っていなかった、シンドラーの工場に
急遽立ち寄ってくださるとの事なのです。

私は旅行前日に初見でシンドラーのリスト観て衝撃を受けたばかりでしたので

不謹慎かもとは思いつつも

シンドラーの工場見れることに喜び心疼く自分がいた事を告白します。




ドイツ人実業家オスカー・シンドラーのほうろう容器工場

ゲットーのユダヤ人たちにとっての救済施設

クラクフ・ポドグジェ地区のシンドラーの工場に着きました。



第二次世界大戦初期の1939年、ナチス占領下のクラクフにやってきた
ドイツ人実業家オスカー・シンドラーは、古工場を買い取り、
ゲットーのユダヤ人を低賃金で雇って、ドイツほうろう容器工場をオープンしました。

しかし1943年クラクフ・ゲットーが解体され、
ゲットーのユダヤ人はクラクフ郊外のプワシュフ強制収容所へ連行されることが判明すると、

自身の工場をプワシュフ収容所の所属とし、
工場の敷地内にプワシュフ収容所所属の私設収容所を設置、

工場のユダヤ人労働者を強制労働収容所へ送ることなく、
引き続きシンドラーの工場にとどめました。


さらにプワシュフ労働収容所の解体も決まり、

クラクフのユダヤ人はすべて絶滅収容所として
悪名高いアウシュビッツへ送られることが決まります。

するとシンドラーは、工場のユダヤ人労働者を、
生まれ故郷チェコのブリンリッツへ連れて行くことを決断します。



彼は『シンドラーのリスト』を作成



このリストに載った1200人余りの人がシンドラーと
ともチェコのブリンリッツへ旅立ちました。

こうしてシンドラーは、私財をなげうち、
1200人ものユダヤ人の命を救ったのです。


Oskar Schindler (centre) with some of his Jewish workers at the Krakow enamel factory, c1943
クラクフエナメルの工場で彼のユダヤ人労働者の一部とオスカーシンドラー(中央)c1943


映画『シンドラーのリスト』のロケ地として使われました。




旅行前にはよもや来れると思っていなかった場所でしたので

私にとってこのうえなく嬉しいサプライズでした。








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