2011年8月17日水曜日

サニーシャイニープロパガンダ


今日発売の「TVBros.」表紙が岡村靖幸だったので驚きました。

普通に復活してるのと

やせて昔の岡村靖幸だったからです。

堀江貴文もそうでしたが、刑務所ダイエット

意外とありなんじゃないでしょうか、

だれもおススメはしないでしょうが。


いとうせいこうと浅草で対談と非常に興味惹かれたので久しぶりに購入しました。


テレビブロスは私が19歳の時から、テレビ情報誌と称してテクノ雑誌だった頃から10年以上かかさず購読していましたが、ここ数年まったく地上波を見なくなった事もあり読んでいなかったのですが、あらためて活字ドラック健在ぶりに驚かされました。


「萌えエネルギー講座(1)燃料棒を露出せよっ」は、

なにゆえ戦後の日本が原子力を持つに至ったかを非常に分かりやすく説明しています。 




英語では核も原子力もどちらもNucleus(ニュークリアス)ですが、原発の影響で「核」が悪いイメージなので原子力という言葉が作られたなど萌え挿絵でごまかしていますが、

大スポンサーの東京電力批判、原子力批判がタブーになっていた大手メディアの中で、
明らかに原発をディスる内容なので驚きです。



ブッチュくんの作者、天久聖一はテレビ雑誌でコラム連載しているのに

「僕はほとんどテレビを観ない」と書いてたり


私の好きなフリーライターでバックパッカーの森知子さんの連載、「家がないから旅に出た!」が隔号で始まっていました。




サブカルの牙城「TV Bros.」また買い始めます。







それでちょっと考えさせられたのが、裕木奈江が

主演映画「レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー」の DVD発売PRでインタビュー記事が載っていたので

酔った勢いで、かまって欲しくて30歳さんに

「奈江タン出てますよ。」とメールしたところ、



「男性受けが良くて、女性に嫌われる典型って感じで裕木奈江大嫌い。」

とリプライ帰ってきました。



そう言えばあの異常なまでの裕木奈江バッシングは何だったのでしょう?



私は 裕木奈江全盛時は新聞奨学生やってたので晩い時間のテレビ(21時以降)は観てないので「北の国から」も「ポケベルが鳴らなくて」を拝観しておらず、

私には電気グルーヴのオールナイトで

「奈江タ~ン、僕チンと一緒にあそんで~」

とか尋常じゃないまでの嘲弄っぷりがすさまじかったなとの記憶しかないので

ちょっと検索してみました。


ネットがない時代、当時のスイーツが叩いて便乗してマスコミも叩き日本中に伝染し

記事を読んだ”洗脳された人たち”から恐ろしいバッシングが続けられた

なんて壮大ないじめなのでしょう。





当時30歳さんは小学校高学年でしたでしょうが、多分学校中で裕木奈江批判をしないと仲間外れになるような風潮が蔓延してたのではないでしょか?



そのあとテレビから干された裕木奈江はどうしたのかは

ニコニコにあがっている2007年伊集院光 日曜日の秘密基地のゲストに出たときの回を聞くと分かります。

舞台をずっと続けて、34歳の時にギリシャに留学して

37歳でデイヴィッド・リンチの『インランド・エンパイア』に出演されたと。

ラジオを聞くと裕木奈江は努力家で
りりしくっていなせな女性だと私は感じました。



その中で伊集院さんの言葉が同時代を経験した人にとって
裕木奈江に対する一番の賛美だと思いました。




失礼に該たる事を言うかもしれないのは先に謝っとくけども、すごい「裕木奈江バッシング」みたいのがブームになって、僕らからしてみたら「あ~あ、あの娘、テレビ・ドラマとか出られなくなっちゃったね」と思ったのね。で、その、一番最初に来た、その、輝きの印象があるから、、

「すごい女優さんになると思ってたのに」、

「世間とか女の人って怖いな。同姓にこんだけバッシングされると、出られないんだ、

かわいそうに」ってたぶんオレ思ってたと思う、ずっと。
だけど、なんかこう、こうやって話してみると、あそこでのトントン拍子はトントン拍子でまた想像はつかないけど――それと、あそこが、あのかたちがトントン拍子じゃなかったっていえる立場でもないんだけど――でもなんかこう……スゴいね、ちゃんとしてるよ、すごいちゃんとしてる。やっぱ、スゴい……あのぉ、最初の印象で「スゲぇヤツ来たなぁ」と思ったけど、そのまま、やっぱ、スゲぇヤツになってんなぁ。スゴい。










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