2010年9月27日月曜日

名古屋旅行(7) 明治村final

明治村で撮った全ての建物の写真を載せていたら終わりが見えないので、主だった箇所を上げて明治村は締めくくりたいと思います。

京都市電の途中駅「京都七条」前にある明治村2丁目のメインストリートであるレンガ通りです。


2丁目16番地 《重要文化財》東山梨郡役所 明治18年(1885)

明治村の「村長室」は、ここにあります。初代村長は徳川夢声さん、2代目は森繁久弥さんが勤めました。現在の3代目村長は小沢昭一さんです。

役所の中には竹久夢二中心のアートショップがあり、明治村の住民登録の受付を行っています。


新田次郎原作の「剱岳・点の記」が映画化され明治村でロケが行われたので、2階では、メイキングビデオ上映や装備・写真パネルの展示があります。



4丁目46番地 宇治山田郵便局 明治42年(1909)

伊勢神宮の外宮前の大鳥居の前に建てられていた郵便局です。

ハーフティンバー様式で、白い箇所にはパルメット紋の飾りがほどこされています。
郵便局員の歴代の制服、歴代のポストなどが展示されています。

    ここでは実際に郵政事業が行われていて、切手を買ったり、郵便を出すことも出来ます。


昔は速達専用の青いポストが在ったんだなぁと思ったら現在でも主要都市ではごくわずかだそうですが、現役で立ていました。ただ赤いポストでも速達を受け付けていて、取集­時間も同じなのでその存在意義が問われているそうです。 5丁目64番地 菊の世酒蔵 明治初年(1868)頃

この蔵は、もとは愛知県碧南市に穀物蔵として造られたものです。明治28年に刈谷市に移築されて、「菊の世廣瀬酒蔵」の仕込み蔵として使用されました。



酒作りの道具が展示しています。







この軒先に吊るされている茶色くて丸いものは酒林(さかばやし)/杉玉と言い、杉の葉を束ねて玉状にまとめたものです。造り酒屋や酒を扱う店先に新酒が出来た印として吊るされるとのことです。




一番奥の建物が「歩兵第六聯隊兵舎」、真ん中が「日本赤十字社中央病院病棟」下が「食道楽のカフェ」です。

1890年、明治19年日本もジュネ-ブ条約に加盟して正式に日本赤十字社が発足することになり、渋谷に日本赤十字社中央病院が建てられました。この病棟は中央病院の数ある建物のひとつです。

病室を南側に配置していましたが、明治村移設の際に病室が北側になってしまいました。

これは 病院の正面を飾っている額で、桐・竹・鳳凰が浮き彫りにされています。草創期の日赤をもりたてた昭憲皇太后のアイデアを基にしたものです。




「歩兵第六連隊兵舎」の2階に「暗夜回廊」という迷路があったので、試しに入ってみました。コンセプトとして「暗い」ということが、いかに不安で怖いものか感じて、「明るい」ことへの感動を体感してもらうためとのことですが、出てきた時の感想は「えっ」の一言で、多分これを2回以上体験する人はいないと思われます。

1895年に 日本で最初に開通した路面電車「京都市電」、1911年製の車両が日本最初の本格的動態保存路線として1967年(昭和42年)から明治村で開業しています。

京都で50年以上、明治村に来てから41年間、ずっと現役で走り続けていると考えると驚かされます。


吊革が籐蔓(とうづる)で出来ています。



4丁目38番地 シアトル日系福音教会(旧シアトル住宅) 明治40年(1907)頃
アメリカのシアトルにあったものを移築・保存したものです








5丁目62番地 金沢監獄中央看守所・監房 明治40年(1907)
明治の五大監獄(千葉、金沢、 奈良、長崎、鹿児島)の1つです。レンガ造に石の帯状装飾を入れるのは当時の洋風建築の流行で、明治村の正門などにも取り入れられています。


監房です。

デンキブラン 汐留バーで愛知の地サイダー「日の丸サイダー」を飲みました。


3丁目30番地 菅島燈台附属官舎 明治6年(1873)
灯台守の宿舎として使われました。




















3丁目29番地 品川燈台 明治3年(1870)
明治になって外国から新しい燈台技術が輸入され、初めは東京に四つの燈台が造られました。フランス人の技術者によって作られたものです。天辺の風見の「西」はフランス語の西の頭文字「0」になっています。現存最古の洋式燈台です。

名古屋旅行(6) 明治村´ ´ ´´´

3丁目32番地 神戸山手西洋人住居 明治20年(1887)代


この二つに分かれた建物は神戸の高台に建てられたものです。
ヴェランダが正面と片側面に折り廻されて上下階ともに          設えられています。「ヴェランダ・コロニアル様式」というそうです。
主屋の背面にわずかに離れて2階が和室の付属屋が建てられていて、内部には階段がなく、主屋2階との間の「渡り廊下」だけで行き来する構造でとても面白いと思いました。
付属屋の1階は使用人の作業場兼居室になっています。


ここは一日一回しか建物ガイドが行われていないので、この時間に間に合うべく、真夏の炎天下の中、必死こいて村内を走ってたどり着いたのですが、平日の昼間ということもあったのでしょうが私以外だれもいなくてマンツーマンで説明を受けることが出来ました。







二階のベランダは特徴的で、狭い敷地ながら、色々工夫され大きく見せるように造られています。 柱も整然と並べるのではなく、二本、三本と不規則にな間隔にすることで、変化を持たせ、建物自体を大きく見せています。
このベッドは明治11年開業の箱根にある「富士屋ホテル」で使用されていたものです。


2階付属屋の和室です。



渡り廊下を付属やから主屋を撮りました。







その逆でも撮ってみました。



2010年9月20日月曜日

名古屋旅行(5) 明治村´ ´ ´´

5丁目51番地  聖ザビエル天主堂 明治23年(1890)

----------------------------------------------------------------------------------この教会堂は、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルを記念して、明治23年(1890年)かつてザビエルがいたことのある京都の地に献堂されたカトリックの教会堂。フランス人神父の監督の下、本国から取り寄せた設計原案に基づき、日本人の手で造られたという貴重な建物です。基本の構造はレンガ造・木造との併用で、外周の壁をレンガ造で築いており、正面入口の上には直径3.6mを超える大きな薔薇窓が付けらています。外光を通して美しい陰影を見せるステンドグラスは、色ガラスに模様を描いており、外に透明ガラスを重ねて保護しています
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こんなに大きい白亜のフランスゴシック教会を実際に見るの初めてで、思わず厳粛な欲望を覚えました。

ステンドグラスが差し込む日差しを受け、幻想的な光を礼拝堂にもたらしています。
暗い礼拝堂内に 外光の白い光の彩が広がり、敬虔な心持にいざなわれます。







光の帯の奥、祭壇の上に、フランシスコ・ザビエルの木像が十字架をかかげて立っています。
この天主堂では、年間100組ほどの挙式が行われています。
実写版デビルマンなど映画のロケ地でもあります。

3丁目68番地 芝川又右衛門邸 明治44年(1911)
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芝川又右衛門邸』の所有者である芝川家は屋号を百足(むかで)屋といい、幕末頃から大阪の伏見町で唐物商を営んだ豪商です。明治に入ると当時の主人、初代芝川又右衛門が洋銀の両替商を始めるなどして事業を拡大し、二代目又右衛門が現在の兵庫県西宮市甲東園に果樹園を開き、明治44年、果樹園内に当時新進気鋭の建築家であった武田五一の設計によって建てられた住宅が『芝川又右衛門邸』です。
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阪神・淡路大震災で煙突部分が倒壊し、平成7年に明治村に寄贈された『芝川又右衛門邸』を移築復原し、12年の歳月をかけて平成19年9月22日(土)より一般公開されました。

明治村が建造物を移築復原するのは、平成6年竣工の『大明寺聖パウロ教会堂』以来13年ぶりで、村内の建造物としては64棟目となります。

この部屋は、ダンスホールとしても使われていました。
往年の宝塚スター 乙羽信子 越路吹雪が踊ったそうです。
ダンスで踊り疲れた客人が腰をおろすことができるようベンチが造り付けられています。
明治44年に竣工した芝川邸の設計者は当時関西を中心に活躍し、F.L.ライトに浮世絵を紹介したとされる武田五一です。


このステンドグラスが変わっていて、ガラスをつなぎ合わせている線は暗くても浮かび上がる使用で、夜暗くても、ただの黒い板になることなく、スミレの花が目を楽しませます。



明治村に寄贈後も、予算の問題などから10年近く復元できずにいました。
移築復元にかかった費用は約8千万円で、半分の4千万円は、寄付によるものです。

玄関を入り、ダンスホールの部屋に入る扉の左側の扉に使われているのが、石目ガラスというもので、こっちの筋が入っている方が当時のもので両面デコボコしています。



こちらは復元されたもので片面はツルツルしています。現代では両面凸凹にする技術は無くなってしまったとボランティアのお姉さんが言っていました。



部屋の各所に紐があり、それを引くと部屋の番号が表示される「使用人呼び出し表示板」が台所にあります。

各所にハート型の模様が施されています。
ガイドさん曰く、「この瀟洒な邸宅の目の前には、果樹園が広がっていたので、桃を表したものかも知れませんね 。」とおっしゃっていました。
2階の和室の手すりにもハートマーク。



照明のブラケットにもハートマークです。


浴室の天井にある換気口の飾りが四匹のトンボで、アール・ヌーヴォー様式が取り入られています。

震災で倒壊した2F和室の中の暖炉上部と床のタイルを復原されています。