2010年4月27日火曜日

禁煙3年

2007年4月15日に禁煙を初めて、丸3年むかえてました。
18年間吸っていましたが、今から考えれば33歳と比較的若い段階で止められてよかったです。

目標だった3年を超えてつくづく思うのは、麻薬ってなんて恐ろしいのかということで、凄いヘビースモーカーなのでクモ膜下出血で倒れ、奇跡的に何の後遺症もなく無事職場に復帰できた同僚が退院と同時にまた喫煙者に戻ってしまいました。
2週間以上ICUに入り生死の境をさまよったのにもかかわらず、止められないたばこの中毒性、私もニコチン中毒者だったのでそうなる心理が分かってしまうので、本当に自分はキッパリ止められたことに宝くじで億単位当たる位、幸運なことだと強く 肝に銘じてこれからも継続し続けます。

http://700km.fool.jp/blog/index.php?e=232

禁煙3年でググって見つけたのですが、脳梗塞で麻痺が残った旦那さんを介護する奥さんは夫の悲惨さを見て煙草をやめることができたのに、とうの本人は止めることができていないご夫婦



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q138750328

妊娠10週目でお腹の赤ちゃんの影響を懸念しながらも止められない主婦

http://sky.geocities.yahoo.co.jp/gl/f_tatuji/view/200612?.begin=31

肺がんの治療で悲惨な状態なのに死ぬまでたばこをやめられない旦那さん


ネットでこういう記事を読めなかったら私も禁煙を継続することはできなかったはずなのでテクノロジーの進化に感謝です。

2010年4月20日火曜日

東京都庭園美術館

東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)の「アール・デコの館―庭園美術館建物公開―」に行きました。
普段は美術品が展示されているので、内部の写真撮影ができませんが、この時だけは取り放題、しかも普段公開していない部屋も公開されます。

朝香宮鳩彦王が1947年の皇籍離脱まで暮らしたあと、3年間、吉田茂の外務大臣公邸として使用されたのち西武鉄道に払い下げられ迎賓館として使用されたり、入園料のすごい高いホテルのプールがあった時代がありましたが、1981年に東京都が買い取り、1983年に都立美術館になって一般に公開されました。
1925年パリで開催された6回目の国際博覧会はアール・デコ博覧会と呼ばれていて、同時代の精巧で官能的な装飾芸術やデザインを言い表すために、アール・デコ(Art Deco)という言葉がうまれました。博覧会の名前のうち「Arts Décoratifs」(装飾芸術)の部分を短縮したのだそうです。1920年代から1930年代にかけて発展したスタイルです。
1919年ドイツに創立された工芸美術学校「バウハウス」の近代デザインの概念に基づき、機能的・合理的、かつシンプルなデザイン様式のアール・デコデザインだったので、戦後軍国主義に持って行った財閥を解体するために旧古河邸庭園旧岩崎邸庭園原美術館みたいに GHQに接収されることなくすんだのだと思います。



学芸員さんによるフロアレクチャーを受けたのですが、すごい人でした。










各部屋の照明が全部違っていて遊び心満載です。姫宮寝室前のステンドガラスの星型が一番好きです。





























































大正11年(1922年)宮鳩彦(やすひこ)王がフランスへ留学するのですが、翌12年に、義兄の北白川宮成久王が運転する自動車が事故を起こし、北白川宮は死亡、同乗していた鳩彦王は足を負傷しました。しかしその怪我の療養のため奥様の允子(のぶこ)内親王もフランスに行き、供にフランス滞在が長引いたことで、フランス文化により長くふれ、3年後のアール・デコ博を両殿下で見学することがなければアンリ・ラパンに設計の依頼をすることはなく、日本に“アール・デコの館”が生まれることは無かったでしょうから、災い転じてです。

1925年の現代装飾美術・産業美術展(アール・デコ博覧会)のラリックのパビリオンの傍らに制作された、照明付噴水「フランスの泉」


東京都庭園美術館のシンボル「香水塔」、アンリ・ラパンが1932年にデザインし、国立セーヴル製陶所で製作されて、フランス海軍より朝香宮家に寄贈されたものです。
室内噴水ですが、鳩彦王のアイデアで当時は上部の照明内部に香水を施し、照明の熱で香りを漂わせていたのが名前の由来です。

一階の内装をデザインしたのはアンリ・ラパンで材料もフランスから取り寄せたもので制作されましたが、2階の居住スペースは 宮内省内匠寮工務課のデザイン、施工は戸田組による日本人が作り上げたもので、所々に和の要所が採り入れられていてラジエーターカバーが江戸小紋の「青海波」だったり、2階ホールの照明塔は唐草模様が施されています。宮内省の技師たちによる一階の香水塔に対抗してそれに負けないようにと作られたように見えませんかと学芸員の方が言っていました。これぞ和風モダンなのだなと思います。


正面玄関ガラス・レリーフ扉の女性像は昔、一枚ひびが入っていたそうで、吉田首相が怒って割ったとかいう噂もあったそうですが、真相は第1王子の誠彦王さんが酔って帰ってきたさい強く閉めてしまったショックで割れてしまったとのことです。
割れてしまうことを想定してスペアーが存在していて、それが昔誰かが持ち出したのか、プレゼントしたのか分かりませんが、オークションに賭けられていて「これはあの朝香宮邸のガラスレリーフではないか」と情報が入り真相を話し少しお安くしてもらい購入し、平成10年に取り換えたそうです。 複数生産が可能なアールデコデザインならではのお話です。

春休み期間中なので、お子様も楽しく建物を見学できるようにと、ワークシート(チェックシート)がありました。
今までは、年に一回しか開催されない建物公開ですが、今年は12月にも行われます。今までは無かったライトアップも施されるそうで、敷地内には夜10時まで開いている「カフェ・デ・ザルチスト」もありますので、楽しくご利用できそうな方は記憶に留めておかれてはいかがでしょうか。

2010年4月12日月曜日

自由学園明日館

池袋と目白の間にある「自由学園 明日館(みょうにちかん)」の桜見学会に行きました。

アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライトが、弟子の遠藤新と共に設計した建物で、F.L.ライトはル・コルビュジエ、 ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれるほどのスゴイ人だそうです。
明日館は平成9年に国指定重要有形文化財に指定され、大規模な復元・修復のもと、平成13年から「建物は使ってこそ活きる」 「動態保存」として一般に公開されています。

ライトの代表作としては、カウフマン邸(落水荘)、グッゲンハイム美術館などが有名ですが、日本では12件の設計を手がけたそうで、このうち、実現したのは帝国ホテル、林愛作邸、福原有信邸、ヨドコウ迎賓館(旧山邑太佐衛門邸)と明日館の5件です。福原邸は 竣工後間もなく起きた関東大震災で倒壊、帝国ホテルは玄関ロビー部分が明治村に移築され、林愛作邸は一部が残り、現在電通八星苑として利用されていて、オリジナルの形で残っているのは、ヨドコウ迎賓館と自由学園明日館だけなのだそうです。


見学のみだと400円ですがプラス200円で、パウンドケーキとコーヒーまたは紅茶を素敵な食堂でいただけます。
ご自由にお飲み下さいとさくら湯がおいてありました。初めてなのでちょっといただこうと思い、湯呑をおいてポットをちょっと押したら桜の花びらがでました。しょっぱくて梅昆布茶みたいな感じですが見た目綺麗でいいです。五分咲きから七分咲きの桜を塩と梅酢で1週間ほど漬け込んで作るのだそうです。
創立当時に教室で使われていた椅子で、背中やお尻に接する部分が湾曲していて座り心地を考慮されています。勉強机とセットで作られたそうです。
中央棟ギャラリーの修理前の写真です。ここは、図書室に使われたり、ある時期は教師室に使われたりしたそうです。山型の天井がたわんでいます。

ボコスカウォーズの騎士みたいな六角椅子のお値段は1脚62,000円です。
ライトは、家具も建物の一部と考えているので、六角型の建物に六角形の椅子なのだそうです。

こんなに美しくサクラが舞い散っているのを見たの初めてで、思わず「わぁー」って感嘆な声をだしてしまいました。

私の陳腐なデジカメと撮影テクでは写し切れていないのが、まことに忸怩たる思いです。
気がふれる程、綺麗でした。

向って隣にある、自由学園明日館講堂も同じく1997年、国の重要文化財に認定されています。
ライトの弟子、遠藤新さんの設計です。

見学される方は、事前に カレンダーで確認されることをお薦めします。

2010年4月5日月曜日

セシル・バルモンドの世界

1999年9月9日にオープンした東京オペラシティアートギャラリーで2010年1月16日~3月22日でおこなわれていた展覧会 「構造デザイナー セシル・バルモンドの世界」を観にいってました。
初台駅東口を出ると出迎える口をパクパクさせている巨人像は、ジョナサン・ボロフスキー作 「Singing Man」です。


新国立劇場に隣接した 東京オペラシティタワーは、アートギャラリーの他にタケミツ・メモリアル・ホールもあり、オペラやバレエ、コンサートなど多彩なジャンルの美術が楽しめる、まるで現代芸術のジュエリーボックスです。

構造デザイナーとは何ぞやと建築家と何が違うのかをちょっと調べてみたのですが、構造家とは建築家が設計した建築を、力学や施工技術をふまえて物理的に成り立たせ、建築に丈夫な骨組みを与える技術者というお仕事だそうです。

この作品、一見すると?ですが、よく見ると天井からぶら下がっているわではなくチェーンとアルミプレートだけで自立して建っています。

『構造計算をするとこんなこともできるんだよ』っていうことを知らしめる建築構造家セシルさんの名刺がわりの作品だと思いました。
展示室をいっぱいに使ったループを主体としたインスタレーション展でした。

ご興味がおありの方は展示風景の一部がこちらで観ることができます。
感想は数値、計算幾何の美しい反復のアリゴリズムの数々を観るたび心の疼きが止まらなかったです。
上の写真は合成ですが、ヴィクトリア&アルバート博物館の増築プロジェクトで、ダニエル・リベスキンドが建築設計、セシル・バルモンドが構造デザインを手掛けたものです。
実現していたら凄かったでしょうが、さすがに歴史ある国立博物館でこれはやりすぎです。
50億人民元を超える金額を投じて建てられた中国中央電視台本部ビル(2008年12月に竣工)


Serpentine Gallery Pavilion 2002 (サーペンタイン・ギャラリー, ロンドン, 2002, 伊東豊雄)

多数の三角形と台形とで線を交差するシステムによって形成された透明または半透明に無限に繰り返される運動感を表しています。

ベルリンのユダヤ博物館(サンフランシスコ, 2003)


ギャラリーショップ《ギャラリー5(ファイブ)》
名前の由来は4つの展示室をもつ東京オペラシティアートギャラリーの、「5番目の展示室」を意味しています。
H_edge製作のための専用冶具がありました。これでチェーンを張ってアルミプレートをはめこみます。